今回は能「田村」と、田村に特別な演出を加えた「白田村」を題材に、能における演出効果について、お話と実演を通して学びました。開催レポートをお届けいたします。
2020年12月5日(土)開催 第11回 武相荘お能への誘いの会「能の演出効果 ——田村と白田村」
能楽師 シテ方喜多流 友枝雄人氏
能楽師 小鼓方幸流 成田達志氏
解説・司会 青柳恵介氏(古美術評論家、五蘊会会長、觀ノ会発起人)
能「田村」青柳先生による物語の解説
- 田村とは坂上田村麻呂のこと、蝦夷征伐をした将軍。
- 能「田村」は、今昔物語と、清水寺縁起という書物を典拠に作られている。
- 物語のはじまりは、桜の季節の清水寺に、ワキである旅の僧が到着するところから。
- 「この寺の地主の櫻に若(し)くはなし」――地主(じしゅ)というのは普通名詞で、本来はどこでも土地の鎮守の神様のことをそのように言うが、ことに桜の美しい地主権現といえば清水寺を指す。この地主権現、このお能の一つのテーマと思われる。繰り返し出てくる。
- 僧が寺で出会う童子=花守=花守というのは桜の木をお守りしている童子。
- 三十三という数字も出てくるが、観音信仰に通じている。
- 非常に眺めのいい清水寺の境内。僧が「又見え渡りたるは皆名所にてぞ候らん御教え申し候べし」ここから見える名所をお教えください。というと、童子はお教えしましょうと言って、見える名所を次々に教えていく。演者も舞台をはしから見渡していって、舞台を中心にぐわ~っと、風景が見えてくるような描写になっている。お能のこういう見せ方を『名所教え』という。
- 前半のクライマックス
僧と童子が一緒に詩を口ずさむ
『春宵一刻(しゅんしょういっこく)。値千金(あたいせんきん)。花に清香(はなにせいきょう)。月に陰(つきにかげ)』
これは実にうまい引用。また、同じ刻を共有しているのが中年の僧と美しい童子であるというのが面白い。本番でシテの友枝さんが童子になりきって舞っているところにぜひみなさん注目してください。 - この後、童子が唐突に歌を詠んでいる。
『ただ頼め。標茅(しめぢ)が原のさしも草」
これまでの文脈につながらない。この歌は「袋草子」という歌書や新古今和歌集に取り上げられた歌で、意味は、女の人が恋がうまくいかなくて死んじゃおうかしら、というのに、神様が、待て待て待てまずは私を頼りにしなさい、助けてあげますから。と言った歌。直前からの文脈はつながらないんだけれど、この部分が一種の色香をそえているような気がする。これは、地主権現の言葉なのである。 - 童子は田村堂の中へ消えていく。ここで前半の終わり。
田村堂というのは今も清水寺の中にある。坂上田村麻呂の彫刻が収められているお堂。 - 〜前半と後半の間のアイ狂言〜
清水寺の門前に住むというものが清水寺の縁起や坂上田村麻呂について語る。その中で当時、勢州(伊勢を中心とした今の三重県)の鈴鹿山に鬼神が出て民を悩ましていて。田村丸(田村麻呂)は天皇から鬼神征伐の命を受けて、それを成し遂げて、その後この清水寺が建立されたと話している。当時の鈴鹿山というところは関(せき)となっていて、険しい山の中で、山賊がいつも出ていた。さらに鬼神も出る。今昔物語には無いが、当時の複数の文献にそういう記述があり、それを能の作者は物語の中へ拾い上げた。 - 後半は鬼神を退治するところ
- (清水寺建立のきっかけとなる)この観音様に祈念し加護を得て悪魔退治に出かける。
- 『道行(みちゆき)』のシーン。逢坂山を超え、滋賀の浦波を眺め、粟津の森を抜け、石山寺では伏し拝み(ここも観音様です)勢田の長橋を駆け抜けて、伊勢から鈴鹿へと。
- ものすごい鬼が出てきて、戦いとなる。
ここで、地謡が「ふりさけ見れば伊勢の海。安濃の松原むら立ち来つて」と。海が見える高い所で戦っているのが分かる。 - 鬼神がごうごうと集まって押し寄せてくるところに、千手観音が光を放って飛んできて、その千の手ごとに弓を持って矢を放つ。そしてことごとく鬼神は討たれた。と。田村麻呂は千手観音の加護で勝利を収める。
- 最後も、全く観音の御力、佛力のおかげである。と言って終わる。
鼎談
[青柳] さて田村ですが。箙(えびら)、八島とともに能の中では勝修羅(かちしゅら)と呼ばれていますが、どうでしょう、修羅というのは仏教でいうと六道にあらわされている殺し合いの世界ですが、この田村には陰惨さが無い、修羅というには明るい感じがするのですが。
[友枝] 勝修羅三番、勝修羅というのは後世の人が種別したもの、和歌の三夕の歌のように後世の人が言ったものです。修羅ものというのは戦さを描くわけですが田村の場合は倒す相手が人間ではなく鬼。人を殺めて修羅道に落ちて苦しむところは描かれていない。人間ドラマはないが、健康な勇ましさに溢れていて、祝言の側面が強い能です。
[成田] 内容と全然違う話になってしまうのですが、私達囃子方の世界の話をちょっといたしますと、囃子方は小さい頃、6才の6月6日に、この田村から稽古を始める。おめでたい曲なんです。どんな曲かというと、前半は非常に美しく、後半は実に勇ましい。対比の素晴らしい曲です。囃子方にとっては見せ場が多い、前半は優雅で、後半はぐっ~~っと盛り上げ迫力を出す。メリハリが効いていて、飽きるところがない。目が離せない曲です。
[友枝] シテ方は能の稽古を始めるのはもっと早いのですが、田村は、声変わりした最初のころに稽古する曲です。前半から一人で語る部分が長い曲なんですが、ものがたりは、例えば源氏物語が題材の曲のような強い感情の起伏は少ない。その面でシンプルにお能というものをとらえやす曲です。
私は18歳のころこれをやった時にヘロヘロになった、稽古の度に本当にくたびれたのを覚えています。これが不思議と50歳がやると出来る。それはどういうことかってことなんですが。
[成田] 謡の分量が本当に多いと思う。覚えやすいいい曲だが、長くて大変だと思います。
[青柳] 白田村の「白」につきまして。
[友枝] 能は演出にバリエーションを持った曲というのは意外とありまして、小書きというのがついたものがあるんですが、題名に小さな字が入るものがそれです。しかし白田村は「白」という字が同じ大きさで題名の上についてくる。私どもの喜多流では小書きよりかなり重くあつかっています。
私自身の体験としても「白田村」は最初に教わっていた師匠が一番大切にしていた曲で、特別な曲なんだというのは、そのころからの印象も強いです。
面も、後シテの田村麻呂は、「田村」では平太(へいだ)をつけるんですが、白田村では天神の面をつける、そういうところからも非常に神格化されていると思う。
[青柳] それでは実演を。みなさん、そのあたりの違いに注目してみてください。
[成田] (白田村は)緩急が違いますね。
我々囃子方にとっても格が違う曲、大切にしている曲です。
[雄人] 白田村は神格化されているというのもあり、動いていない時――ただ立っている時でも、ズドンとした重さ――存在感が要るので、そこは演じ手にとっては一番、悩ましいところでもあります。
続いて成田達志さんによる幸流の小鼓、体験講座が行われました。
縦書きの楽譜である手つけの読み方を教わりつつ、「エアー鼓(手拍子)」で体験しました。なかなか難しいのですが、お能のリズムを表現してみる、非常に面白い体験です。
レポートは以上となります。
# 祝言の側面が強いというお話がありましたが、今回の「田村」は、物語性の強い他の能に比べ、単にストーリーを追っただけでは、その面白さはなかなかイメージできませんでした。しかし今回、青柳先生の解説をお聞きし、このお能は一場面一場面が非常に美しい構成になっていることが分かってきました。そしてその舞台の上に、友枝さんと成田さんを中心に立ち上がってくる存在感はいったいどんなイメージを見せてくれるのでしょうか。僧の前に現れる童子、鬼神を平らげる田村麻呂に会ってみたい。本番が非常に楽しみになる会でした。
2021年1月24日(日)に開催される白田村の本番、五蘊会の情報は下記より
https://tomoeda-kai.com/schedule-noh/2945/
ご参加の皆さま誠に有り難うございました。
武相荘、お能への誘いの会、次回もどうぞお楽しみに。