2017年の記事一覧

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2017年12月24日更新蝋梅

駐車場側の入り口から、ゆっくりと歩いて行くと、ほんのり良い香りにつつまれます。
蝋梅の香りです。

武相荘 蝋梅(ろうばい)

武相荘は明日12月25日(月)より冬季休暇に入ります。
2週間のお休みをいただき、新年は1月6日(土)より開館いたします。
6日は朝10時より「武相荘の新年会」を開催致します。
賑やかにお囃子、御神楽もあげられます。ゆったりとしたお正月の雰囲気をお楽しみください。
新年会のご案内はこちら

武相荘 12月

寒さの厳しい日が続きますが、みなさまどうかお元気に、良いお年をおむかえください。
また来年も皆様のご来館をお待ちしております。

2017年12月24日更新75万人目のお客様

武相荘、2001年10月の開館以来、75万人目となるお客様をお迎えすることができました。
記念すべきお客様は横浜市からお越しの素敵なご夫妻でした。

武相荘 75万人目のお客様

(写真の撮影を快くお許しをいただきました、ありがとうございます!)

2017年11月26日更新もみじの様子(2017年秋)

12月4日(月) 素晴らしく色づきました。
ミュージアムでは冬展が始まっています。秋のお庭とともに、ぜひお楽しみください。

武相荘の紅葉 2017年12月

11月28日(火) 紅葉が色づいてきました。

武相荘の紅葉 2017年秋

11月25日(土) 紅葉がだんだん染まってきました。

武相荘の紅葉 山側散策路 2017年秋

武相荘の紅葉 2017年11月26日

2017年11月25日更新開催レポート 武相荘のワークショップ Vol.2 色とりどりの糸から生まれる 自分だけの組紐

2017年11月19日(日)開催 武相荘のワークショップ
《色とりどりの糸から生まれる 自分だけの組紐》のレポートをお届けします。

参加者:17名 会場:能ヶ谷ラウンジにて

「組紐」
飛鳥・奈良時代に大陸から伝承された文化により、本格的に日本の組紐は発展しました。
仏具・経典・巻物の付属品の飾り紐から、武具甲冑刀の大切な美的部品として伝承され、現在では、和装の帯締めなどの印象が強いでしょう。
いまでは一般的になった組紐の帯締めや羽織紐は、正子の母、樺山常子が高田装束店と合作でつくり広めて、当時の上流階級に広まったと言われています。

道明製帯締め
会場には、道明製の組紐、正子所持の帯締めを特別に展示し、皆様にご覧いただきました。

道明三保子氏
今回のワークショップでは、この伝統技術を400年近く守り続け、組紐の研究、継承に尽力されておられる、御糸組紐司「東京 道明」(1952年創業)より、道明葵一郎氏、道明三保子氏、アシスタントの方々を迎えてレクチャーを受けました。

丸台

丸台を使用し、「奈良組」のストラップ、もしくはブレスレットを制作します。
既に台には色とりどりの糸がセッティングされ、一つとして同じ組み合わせは無いように用意して下さいました。
参加者は自分の好みの色の前にスタンバイ。

組紐(制作風景)
初めは恐る恐る、慎重に糸玉のついた糸を順番に撚っていきます。
作業が進んでいくと、だんだん玉の音が規則正しく聞こえるようになってきました。指が彷徨うことなく糸を撚っていくようになると、あっと言う間に時間が経っていました。

世界でたったひとつの「組紐」の完成です。
組紐 完成

編むとは違う「組む」という作業を実感することができました。
「道明」の皆様、貴重な体験をさせて頂きました、ありがとうございました。

2017年11月16日更新椿と山茶花が開花しました。

あっという間に秋が深まってきました。

石仏 武相荘
石畳の往来を見守る石仏。
今日はひときわ、にこやかなお顔に見えました。

山茶花 武相荘
目線を上の方へ向けると、大木の山茶花。

白侘助 武相荘
白侘助。こちらも大きな椿の木。一斉に花開きはじめました。

白梅のつぼみ 武相荘
白梅。もう春の準備を始めていました。

中秋 武相荘

モミジはまだ青々しています。
例年11月下旬〜12月初めが見頃となります。

2017年11月12日更新開催レポート 武相荘お能への誘いの会「清経」

九州から妻のもとへ届けられたのは、形見となった夫の黒髪だった。
生きて帰ると誓ったはずの夫の形見。受け入れられない妻は、
その髪を突き返してしまう…
「見るたびに心づくしの髪なれば、うさにぞかへす本の社に」

(お能「清経」はじまりの部分)

2017年10月14日(土)開催 第5回 武相荘お能への誘いの会 開催概要
能楽師 友枝雄人氏
能楽師 佐藤寛泰氏
解説・司会 青柳恵介氏
お能「清経」について/後半「オモテ = 能面」について実物を見ながらのお話

武相荘 お能への誘いの会「清経」
武相荘の囲炉裏の部屋(普段は展示室となっている)で特別に開催しました。

このページでは勉強会で特に印象的だったお話を、写真とあわせて皆様にご紹介いたします。

ものがたり・背景

青柳恵介氏

源氏に都を追われて、西海をただよう平家は、
九州で、最後の望みをかけて、宇佐八幡宮へお参りに行きます。
戦勝祈願に行くわけです。
相当の人数です。——その中には安徳天皇もいます。
ところがお祈りをして何日間か過ごしているうちに、
大将の宗盛がですね、夢を見るんです。
その中に宇佐の神様がでてまいりまして、
「世の中の。うさには神も。なきものを。なに祈るらん。心づくしに」
という歌を、告げるわけです。

「うさ」っていうのは、辛いっていう「憂し」という形容詞がございますが、
それと宇佐八幡の「宇佐」をかけ言葉にしてましてね。
この、あなたたちの辛い、この運命には、神様なんていない。
神は、加護しないのになんでみんな、そんなに一生懸命お祈りをしているんですか?
という、突き放されるような歌を、夢の中で、宗盛公は聞かされて、
「今、平家はずいぶん劣勢であるけれども、何とか!」という気持ちが、
だんだんもう萎えてきてしまった。

青柳恵介氏 写真右手

宇佐神宮には、神のご加護をいただこうというのと同時に、
実は九州には緒方惟栄(これよし)っていうですね、強力な武将がいるわけです。
平家に連なる武将だったんですけれども、ところが都からね、
後白河法皇の内々の、「平家に味方するな」と、こういう。
安徳天皇がいますから、平家に味方しない、なんてことはなかなか言えないんだけれども、
上皇からそいういう情報が入って、もう、平家はだめだと。
で、この緒方惟栄は、裏切るんです。平家を。

で、その緒方っていうのは、これは余計な話なんですが、
大神(オオガ)氏なんです。大神氏っていうのは、宇佐八幡の神職の家なんですね。
5代の孫に、緒方っていう苗字に変わったんです。
ですから、宇佐八幡っていうのは、神様に祈願するのと同時に、
緒方という武将の武力を、それを期待して行く。っていう両方の意味があったのです。

しかし、神様からは、そういう託宣を受けてしまった。

個人的にも好きな曲

友枝雄人氏

恋ノ音取(こいのねとり)っていう、笛の手があるらしいんですけれども
舞台で清経は、その笛に誘われて、こう、徐々に徐々に、幕から橋掛かりを歩んで、
奥さんの元に現れる。

それは、お囃子方の笛の人達の非常に技術的に難しい演出にもなっているんですけれど
とにかく、奥さんの夢枕に、こう、なんというかのかな・・・自然と・・・というか、
泣きながら寝てゆくなかに、こう現れるように、うまく出来てる。

その夢の中で、その「戦で死ぬならまだしも、戦わずして入水するっていうことは、
私の存在はどういうことなのか?」っていう、そんなやりとりがあって、
一方「うさにぞ返す・・・って言って、わざわざ届けた自分の鬢(びん)を、
返すことはないだろう」って言うと、
その形見こそね、忘れられないものになるんです。却って。
これこそ執心のものになって、いやだ。っていう。
――現代にも通じる、その、女性の思いだと思うんですよね。

それらが、こう掛け合いの中に、うまーくまとまっているところがあって

まぁまぁ、でもどうしてこうなったか話すから、
まあ、落ち着いてくれ。ってところから始まって、
その後半が、入水に至るまでの詞章がずーっと長々あって、
舞いながら、長い地謡が心理描写していくんですけれども、
ほぼほぼ僕は、あれはノイローゼの状態に近いんじゃないかなと
いつも思いなが舞っているんですれども、
「この世とても旅ぞかし。」っていう、
もうだから、何処にいても、もう最後は一緒だから、
あの世であろうが、この世であろうが、それはもう、
いつかまた何処かで会えるんだから・・・っていうような、
そんな思いに至って身を投げた。

友枝雄人氏 写真中央

僕なんかは、暗い海を、想像しながら舞いますね。

その、やっぱり「うさには神も。なきものを。」と、
まぁそこで「柳ヶ浦からいずくともなく漕ぎ出だす。」
という言葉があるんですけれども、

その。——源氏ってのは、白い、白旗があるんですよね。
そうすると、もうみんな、白いものを見ると、こう、怯えてるんですよね。
船の後にたつ白波。白鷺。全部・・・
もうずいぶん、それはね、本当に。ノイローゼだと思うんです。

でもう、そうなると。
そこから抜け出したいと思ったら、周りが海だったら、ここしか…
(青柳氏:行くところが無い…なるほどね。)
っていう。ええ。

常のものとは大分異なってくる動きや、緩急。

佐藤寛泰氏

(青柳氏: 佐藤先生ね、清経っていうのは、今も武勲が無いっていうか。
その、戦場で格好良く戦った、ってことは、何も語られていない。
その人を主人公に、持ってくるってことでしたけれども。
見ていて、清経っていうのは、なんか品のある人だったんじゃないかなぁ。という…)

そうですね。あまり「いくさ」を感じないというか。
能の状態で「修羅物」っていうことになると、だいたいが、
お囃子で舞うときに、「カケリ」という——修羅道に落ちた苦しみや
戦への執心について舞うことが多い中で、
清経の場合は、そういうものを舞わない。

また基本的に能の中では、死者、亡霊は、お坊さんの弔いなどによって、引かれて
出てくる場合が多いんですが、
清経の場合は、何もなく、ある日唐突にその『思い』だけで出てくる。
修羅物の中でも特異な例であります。

佐藤寛泰氏 写真左手

仕舞という——僕らは、物語のいろんな背景を知るよりかは、
まず肉体でこれを覚えなさい。この仕舞をこの稽古をしなさい。という中で、
清経というものは、比較的早い段階でやらせてもらうことが多いんですけれども、
舞ってる中でも、やはり、常のものとは大分異なってくる動きや、緩急。
そういうのが、非常に多い曲です。

私は、大先輩方が舞われている姿は、
舞台にいるよりかは楽屋内で見ることが非常に多かったんですけれども、
清経の場合は、クセという、ある種の聞かせどころ・舞いどころのところで、
能においては、かなり写実的な、動きをするんです。
——「腰より ようじょう(横笛)抜きいだし…」と、笛を、
扇をたたんで笛を抜いて、それを口元にあてて、笛を吹いてる様をつくる。
笛を、あしらい笛で吹くんですね。
そうすると本当に、その瞬間に、そういうところで、こう
ふわーと吹いているように見えてしまう。
というのが僕は清経が初めて。
そいういう能の中で、リアルに見えた瞬間、鮮明に覚えています。


前半「清経」のお話からは以上です。講師陣による大変興味深いお話。いかがでしたでしょうか。

能楽師のお二人が出演される「清経」の本番、は11月18日(土)、目黒駅近くの喜多能楽堂で開催されます。

「清経」「猩々乱」友枝雄人

さて後半は、能面を次々にご披露いただき、解説を受けながらの鑑賞を楽しみました。
今回、友枝家にのこされている面、佐藤寛泰氏が所蔵されている面とずいぶん沢山お持ちいただだきました。
よく「能面は見る角度によって表情が変わる。」などと聞きますが、
シテ方の友枝氏があやつるその角度の繊細さに驚きました。

後半の写真をお楽しみいただき、このレポートを終わりたいと思います。
ご参加いただきました皆様、先生方、誠にありがとうございました。

次回開催もどうぞご期待ください。

オモテ 能面 中将

オモテ 能面

オモテ 能面


2017年10月18日更新久しぶりの晴れ間

10月の晴れ間
久しぶりの晴れ間です。

ホトトギス
ホトトギス。秋の緑によく似合います。

コウヤボウキ
コウヤボウキ。とても小さな花です、ミュージアム奥の散策道に咲いています。


秋らしい姿の草は、何でしょうか。


南天の実。色づく途中のようです。

武相荘 母屋
茅葺屋根も久しぶりの日光浴です。


椿は、つぼみが膨らみ始めました。

爽やかな晴れ間、もう少し続いて欲しいですね。

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