舞台本番の開催延期につきまして
新型コロナウイルス感染拡大への諸般の状況を鑑みて、舞台本番の日程が延期となっております。チケット代金返金等を含む対応につきましては下記リンク先より、友枝雄人さんの公式HPをご確認お願いいたします。
4/25觀ノ会・6/20五蘊会 公演延期につきまして
講師の能楽師 友枝雄人さんが「武士の達する境地について深く触れている」という能「実盛」。今回も大変面白いお話をお聞きすることができました。ご覧のみなさまに開催レポートをお届けいたします。
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能「実盛」のものがたり | 対談 友枝雄人氏 × 青柳恵介氏
2020年1月18日(土)開催 第9回 武相荘お能への誘いの会「実盛」
能楽師 シテ方喜多流 友枝雄人氏
解説・司会 青柳恵介氏(古美術評論家、五蘊会会長、觀ノ会発起人)
1. ものがたりの解説——青柳恵介氏
青柳先生によるものがたりの解説。舞台となっている昔の人々の生活風景、故事の意味に触れながらお話しくださいました。以下にかいつまんでご紹介致します。
能「実盛」は、ある僧侶が、加賀国篠原というところへ行き、念仏説法をしているところから始まります。念仏説法とは南無阿弥陀仏を唱えて衆生の救済を願う行い。
【主な登場人物】
- 僧(他阿弥上人)——〈ワキ = お能の脇役、観客の目線となり物語を進める役〉
- 老翁(齊藤実盛の霊)——〈前シテ = 前半の主人公のこと〉
- 斎藤実盛——〈後シテ = 後半の主人公のこと〉
僧はある時、集う人々の中に毎日熱心に聞きに来ているお爺さんがいるのに気付くんですが、どうもその様子がおかしい、その老人の姿が、自分だけに見えていて、他の人々に見えていないようだ、霊だと分かるのです。
皆さんにも、実盛の霊が見える
——お能は、観客はワキと同じ視点で、その世界を見ていきます。
だからこのお爺さん(実盛の霊)の姿は、皆さんにも見えるんです。
名乗らぬ男
僧はそのお爺さんに尋ねます。
「おおご老人、それにしても毎日の念仏を怠らずに、さぞ信心深い人だと思うが、あなたの姿は余人には見えない。私があなたと話すと皆が不審がるから、今日はその名を名乗りなされ」
しかし老人はこう言って断ります。
「田舎者で人並みの名前などないので申し上げることもできません。それに上人(僧)がここへ来て下さっているのは、阿弥陀如来がお迎えくださるのと同じことで、盲目の亀が大海原で浮木を見つけたような、三千年に一度しか咲かない優曇華(うどんげ)の花を見たような心地がし、こんな身の上でもこのまま極楽浄土に生まれることが出来るかもしれないと大喜びしているところなのです。それなのに、輪廻と妄執に苦しむ現世での名前を、今更名乗れとおっしゃるのは、あまりにも口惜しいことです」
そこで僧が、名乗ることは罪を懺悔して心悔い改める助けにもなるんだから、
ぜひ名を名乗りなさい。と言うと
「それでは、名乗らなくてはいけませんか」
と渋々承諾し、僧の前に集っている人々の人払いを頼み、近寄ってきます。
それでやっと名乗るかと思うと、次のようなやり取りが始まる。
老人「昔長井の斎藤別当実盛は、この篠原の合戦で討たれたのですが、ご存知でしょうか」
僧「その実盛というのは、平家の名将。その戦の話は今は無用です、とにかくあなたの名前を名乗りなさい」
老人「いやその事なのです。その実盛は、そこの前にある池の水で鬢鬚(びんひげ)を洗われたそうです。それでここに執心が残ったのか、いまでもこの辺りの人には幻のように見えると言われています」
僧「さて、今も人に見えるのですか」
老人「『深山木のその梢とは見えざりし、桜は花に顕(あらわ)れにけり』という歌のように、老人めをそうして御覧ください」
僧「これは不思議なこと、実盛の昔物語を聞いていたのに、これはこの人の身の上のことであったか。それでは、あなが実盛のその幽霊なのですか」
——ここでやっと老人自身が実盛であると、明かされます。明かすのだけれども、
「他の人には漏らさないでもらいたい。人の噂に残るのも恥ずかしいことです。」
と言い残し、老人は篠原の池のほとりに消えて行く。
——ここまでが前半で、狂言をはさんで後半に入っていきます。
狂言では2人の男が、200年以上前に生きた実盛について語っています。
首実検
——後半が始まる場面
僧は夕方から夜が更けるまで、篠原の池のほとりで「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、鐘を鳴らし供養をしています。すると先ほどの老人が、今度は武士の姿で現れてきます。
実盛の姿で現れた霊が昔語りをはじめ、
物語は、その200年以上前の過去へ飛んで、場面は、実盛が討ち取られた直後の 「この首は誰の首か?」という、首実検のところになります。
誰とはわからずに、実盛を討ち取ったのは、手塚太郎光盛という武士。
大将の木曽義仲の前にその首を差し出して言うのには、
「私は、奇異の曲者と組んで首を討ち取りました。大将のような格好をしているのに続く兵もおらず、また侍かと思えば錦の直垂(ひたたれ)を着ています。名のれ名のれと責めたのですが、ついに名乗りませんでした。声は坂東訛りでございました。」
——実盛はこの時も、名乗っていない。
大将の木曽義仲は、実は実盛のことを知っていて、というのも、実盛はもともと源氏の侍で、様々な経緯があって平氏になっている。源氏であった若い頃に、幼少の義仲を逃して救ったことがあったのです。
それで、手塚太郎が討ち取った武士の話を聞いて、それならばそれは実盛だろう。となるんですが、ひとつ不可解ななことに、その首を見ると、年相応ならば白髪であるべき鬢鬚が真っ黒で、若く見える。
そこで義仲は、実盛をよく知る樋口次郎という侍を呼んで確かめさせる。
すると樋口次郎は一目見て、涙を流して、これは確かに実盛だと言う。
「無残なことです。これは齊藤別棟実盛でございます。実盛が常に申していたことには、六十を過ぎて戦に出れば、若武者と争って先駆けするのも大人げがないし、また老武者だと人々に侮られるのも悔しいことだ。鬢鬚を隅で染めて、若作りして討ち死にするのだ。常々話しておりましたが、本当に染めているとは。洗わせて御覧なさいませ」
早速その首を持って、池の岸へきて洗ってみると、墨が流れ落ちてもと通りの白髪になったので
「誠に名を惜しむ武士は誰でもこうありたいものだ、優美な心がけだ」
と言って皆で(今は敵同士だったのですが)、感涙に咽んでしまう。
——ここの場面は、首実検という無残さのあるところながら、非常に美しく描かれています。
地謡「御前を立つてあたりなる。この池波の岸に臨みて。水の緑も影うつる。柳の絲の枝垂れて」
地上歌「気霽(きは)れては、風新柳(しんりゅう)の髪を梳(けづ)り。氷消えては。波舊苔(きゅうたい)の。鬚(ひげ)を洗いて見れば。墨は流れ落ちてもとの。白髪となりにけり。げに名を惜しむ弓取(ゆみと)りは。誰もかくこそあるべけれや。あらやさしやとて皆感涙をぞ流しける。」
——“やさしや”というのは現代語の優しいではなくて、優美であるということです。
懺悔から成仏へ
フィナーレは、実盛自身が、錦の直垂を着た思いを吐露し、篠原の戦いで木曽義仲と組んで討死しようと思っていたのに、手塚太郎光盛にそれを隔てられた無念を語り、激しい戦いの様子を生々しく伝えます。
最後に、どうぞ私の後世を弔ってくださいと僧に願い、能は幕を閉じます。
シテ「手塚の太郎光盛
地「郎等は主を打たせじと
シテ「かけ隔たりて実盛と
地「押しならべて組む處(ところ)を
シテ「あつぱれ。おのれは日本一の。剛の者とぐんでうずよとて。鞍の。前輪に押し付けて。首かき切つて。捨ててげり
地「その後(のち)手塚の太郎。実盛が弓手(ゆんで)にはまりて。草摺(くさず)りをたたみあげて。二刀(ふたかたな)さす處をむずと組んで二匹が間(あひ)に。どうとおちけるが
シテ「老武者の悲しさは
地「軍(いくさ)にはしつかれたり。風にちぢめる。枯木(こぼく)の力も折れて。手塚が下に。なる處を。郎等は落ち合ひて。終に首をば掻き落とされて。篠原の。土となつて。影も形もなき跡のの影も形も南無阿弥陀仏。弔ひてたび給へ跡弔ひてたび給へ
2.対談——友枝雄人氏 × 青柳恵介氏(途中、謡いを挟んで)
〈青柳〉雄人先生にとって、この実盛は、どういう能ですか。
〈友枝〉老武者が主人公となる曲は、他に頼政という曲があるのですが、これは頼政と言う、専用の面を使います。それに対して実盛は、三光尉(サンコウジョウ)という市井の老人の面を使う。これは普通のお爺さんの面なんですね。そういうところを見ても、この曲はやはり「老い」、武士として、侍として、ある意味その歳になるまで死に場所というのを見つけられなかった、その老い、ということが、テーマになっている能だと思います。
〈友枝〉・・・
〈友枝〉ここで、どうして言い淀むかって言うと、実盛というのは60歳を超えた武士です。死に場所を見つけられずに老いて、ここまで来てしまっている。
その境涯、感じ方というのは、50代の自分には…答えが出てこない。
じゃあ、何故今取り組むかっていうのはあるんですが。
…この「実盛」は、白洲正子さんが私の祖父、友枝喜久夫の能を好きになるきっかけになった曲と聞いています。
祖父は「実盛」は生涯に2回しか舞っていないんですが、
当時舞台の袖、裏から、祖父の舞台、稽古をそれとなく感じて残っていることに、
謡いこんで、舞いこんで、待ちながら、取り組んでいる、姿というのがあって。
実盛に取り組もうと思った時、その祖父の姿勢というのが、自然と自分の中に芯としてあることに気づいた。実盛はこうやって取り組むんだ。という確かな部分が、祖父を通して、自分の中に存在している。
〈青柳〉首実検の場面、シテが語る能の形式ですが、雄人さんは、この場面、実盛が言っていると考えなくても良いと思っている?
〈友枝〉役柄がどんどん変わる、構成は演じ手にとってはキツイ、非常に難しい部分ですが、
武士っていうのはみんな、死ぬ時、死に方、のことを、
いつも自分の身に迫ることとして考えていて、だからこの場面は、
非常に、緊張感を持って臨むものだと思っている。
〈青柳〉違う面での話になりますが、みなさん。
この能を作った世阿弥が生きていたころ、満済という僧が日記をつけていて、その日記の1414年5月11日(応永21年)のところに、実盛の霊が出た、それを遊行上人が弔った。というのが書かれている。
当時このニュースが国中に広まって、それが温かいうちに、世阿弥がうまくキャッチして、とらえて、能に仕上げたのではと考えられてるんです。
〈青柳〉でこの遊行上人なんですが、時宗という宗派、これは一遍の南無阿弥陀仏の流れを組む宗派で「他力本願」。この曲とその辺りの関係については、いかがでしょうか。
〈友枝〉能の稽古は「自分の表現にしたい」という気持ちを、徹底的に捨てるところから、僕らの稽古は始まる。
南無阿弥陀仏も、一心不乱に唱える、実はこの一心不乱というのは並大抵ではない。
〈友枝〉実盛が、名乗らない。名乗りたくないのも、ずっと他力本願で生きて来たから。
名乗ることはそれに背くことであったのではないか。そう思う。
〈青柳〉髪を黒く染めるのも、他力本願とまったく同じ、合致する。
〈友枝〉髪を染めるというのは、現代と違い、その、墨で染めるというのは当時からするととても奇異な行動。髪を染めて、自分を消す、誰だかわからない人として、死んでいくことを選ぶ。
〈青柳〉みなさん、今非常に重要なことを聞きました。
雄人さんは、実盛は他力本願であると。・・・今までに聞いたことがない貴重な考え方です。
〈友枝〉本番まではまだまだ時間があるので、先ほど聞いていただいた、語りの部分も、本番ではまた違ってくると思います。
唄いこんで、舞いこんで、待ちながら、実盛を追ってみたい。
そう思っています。
以上、第9回のレポートです。
50代の自分ではわからないところがある。けれども実盛はこう取り組むんだという芯がある。実盛を追ってみたい。気迫がみなぎった友枝雄人さんの言葉が印象的な回でした。本番が、本当に楽しみです。