開催レポート 武相荘お能への誘いの会「清経」
掲載日 2017年11月12日
九州から妻のもとへ届けられたのは、形見となった夫の黒髪だった。
生きて帰ると誓ったはずの夫の形見。受け入れられない妻は、
その髪を突き返してしまう…
「見るたびに心づくしの髪なれば、うさにぞかへす本の社に」
(お能「清経」はじまりの部分)
2017年10月14日(土)開催 第5回 武相荘お能への誘いの会 開催概要
能楽師 友枝雄人氏
能楽師 佐藤寛泰氏
解説・司会 青柳恵介氏
お能「清経」について/後半「オモテ = 能面」について実物を見ながらのお話
武相荘の囲炉裏の部屋(普段は展示室となっている)で特別に開催しました。
ものがたり・背景
青柳恵介氏
源氏に都を追われて、西海をただよう平家は、
九州で、最後の望みをかけて、宇佐八幡宮へお参りに行きます。
戦勝祈願に行くわけです。
相当の人数です。——その中には安徳天皇もいます。
ところがお祈りをして何日間か過ごしているうちに、
大将の宗盛がですね、夢を見るんです。
その中に宇佐の神様がでてまいりまして、
「世の中の。うさには神も。なきものを。なに祈るらん。心づくしに」
という歌を、告げるわけです。
「うさ」っていうのは、辛いっていう「憂し」という形容詞がございますが、
それと宇佐八幡の「宇佐」をかけ言葉にしてましてね。
この、あなたたちの辛い、この運命には、神様なんていない。
神は、加護しないのになんでみんな、そんなに一生懸命お祈りをしているんですか?
という、突き放されるような歌を、夢の中で、宗盛公は聞かされて、
「今、平家はずいぶん劣勢であるけれども、何とか!」という気持ちが、
だんだんもう萎えてきてしまった。
宇佐神宮には、神のご加護をいただこうというのと同時に、
実は九州には緒方惟栄(これよし)っていうですね、強力な武将がいるわけです。
平家に連なる武将だったんですけれども、ところが都からね、
後白河法皇の内々の、「平家に味方するな」と、こういう。
安徳天皇がいますから、平家に味方しない、なんてことはなかなか言えないんだけれども、
上皇からそいういう情報が入って、もう、平家はだめだと。
で、この緒方惟栄は、裏切るんです。平家を。
で、その緒方っていうのは、これは余計な話なんですが、
大神(オオガ)氏なんです。大神氏っていうのは、宇佐八幡の神職の家なんですね。
5代の孫に、緒方っていう苗字に変わったんです。
ですから、宇佐八幡っていうのは、神様に祈願するのと同時に、
緒方という武将の武力を、それを期待して行く。っていう両方の意味があったのです。
しかし、神様からは、そういう託宣を受けてしまった。
個人的にも好きな曲
友枝雄人氏
恋ノ音取(こいのねとり)っていう、笛の手があるらしいんですけれども
舞台で清経は、その笛に誘われて、こう、徐々に徐々に、幕から橋掛かりを歩んで、
奥さんの元に現れる。
それは、お囃子方の笛の人達の非常に技術的に難しい演出にもなっているんですけれど
とにかく、奥さんの夢枕に、こう、なんというかのかな・・・自然と・・・というか、
泣きながら寝てゆくなかに、こう現れるように、うまく出来てる。
その夢の中で、その「戦で死ぬならまだしも、戦わずして入水するっていうことは、
私の存在はどういうことなのか?」っていう、そんなやりとりがあって、
一方「うさにぞ返す・・・って言って、わざわざ届けた自分の鬢(びん)を、
返すことはないだろう」って言うと、
その形見こそね、忘れられないものになるんです。却って。
これこそ執心のものになって、いやだ。っていう。
――現代にも通じる、その、女性の思いだと思うんですよね。
それらが、こう掛け合いの中に、うまーくまとまっているところがあって
まぁまぁ、でもどうしてこうなったか話すから、
まあ、落ち着いてくれ。ってところから始まって、
その後半が、入水に至るまでの詞章がずーっと長々あって、
舞いながら、長い地謡が心理描写していくんですけれども、
ほぼほぼ僕は、あれはノイローゼの状態に近いんじゃないかなと
いつも思いなが舞っているんですれども、
「この世とても旅ぞかし。」っていう、
もうだから、何処にいても、もう最後は一緒だから、
あの世であろうが、この世であろうが、それはもう、
いつかまた何処かで会えるんだから・・・っていうような、
そんな思いに至って身を投げた。
僕なんかは、暗い海を、想像しながら舞いますね。
その、やっぱり「うさには神も。なきものを。」と、
まぁそこで「柳ヶ浦からいずくともなく漕ぎ出だす。」
という言葉があるんですけれども、
その。——源氏ってのは、白い、白旗があるんですよね。
そうすると、もうみんな、白いものを見ると、こう、怯えてるんですよね。
船の後にたつ白波。白鷺。全部・・・
もうずいぶん、それはね、本当に。ノイローゼだと思うんです。
でもう、そうなると。
そこから抜け出したいと思ったら、周りが海だったら、ここしか…
(青柳氏:行くところが無い…なるほどね。)
っていう。ええ。
常のものとは大分異なってくる動きや、緩急。
佐藤寛泰氏
(青柳氏: 佐藤先生ね、清経っていうのは、今も武勲が無いっていうか。
その、戦場で格好良く戦った、ってことは、何も語られていない。
その人を主人公に、持ってくるってことでしたけれども。
見ていて、清経っていうのは、なんか品のある人だったんじゃないかなぁ。という…)
そうですね。あまり「いくさ」を感じないというか。
能の状態で「修羅物」っていうことになると、だいたいが、
お囃子で舞うときに、「カケリ」という——修羅道に落ちた苦しみや
戦への執心について舞うことが多い中で、
清経の場合は、そういうものを舞わない。
また基本的に能の中では、死者、亡霊は、お坊さんの弔いなどによって、引かれて
出てくる場合が多いんですが、
清経の場合は、何もなく、ある日唐突にその『思い』だけで出てくる。
修羅物の中でも特異な例であります。
仕舞という——僕らは、物語のいろんな背景を知るよりかは、
まず肉体でこれを覚えなさい。この仕舞をこの稽古をしなさい。という中で、
清経というものは、比較的早い段階でやらせてもらうことが多いんですけれども、
舞ってる中でも、やはり、常のものとは大分異なってくる動きや、緩急。
そういうのが、非常に多い曲です。
私は、大先輩方が舞われている姿は、
舞台にいるよりかは楽屋内で見ることが非常に多かったんですけれども、
清経の場合は、クセという、ある種の聞かせどころ・舞いどころのところで、
能においては、かなり写実的な、動きをするんです。
——「腰より ようじょう(横笛)抜きいだし…」と、笛を、
扇をたたんで笛を抜いて、それを口元にあてて、笛を吹いてる様をつくる。
笛を、あしらい笛で吹くんですね。
そうすると本当に、その瞬間に、そういうところで、こう
ふわーと吹いているように見えてしまう。
というのが僕は清経が初めて。
そいういう能の中で、リアルに見えた瞬間、鮮明に覚えています。
前半「清経」のお話からは以上です。講師陣による大変興味深いお話。いかがでしたでしょうか。
能楽師のお二人が出演される「清経」の本番、は11月18日(土)、目黒駅近くの喜多能楽堂で開催されます。
さて後半は、能面を次々にご披露いただき、解説を受けながらの鑑賞を楽しみました。
今回、友枝家にのこされている面、佐藤寛泰氏が所蔵されている面とずいぶん沢山お持ちいただだきました。
よく「能面は見る角度によって表情が変わる。」などと聞きますが、
シテ方の友枝氏があやつるその角度の繊細さに驚きました。
後半の写真をお楽しみいただき、このレポートを終わりたいと思います。
ご参加いただきました皆様、先生方、誠にありがとうございました。
次回開催もどうぞご期待ください。