源平の合戦において西の大将軍であった薩摩守、平忠度(たいらのただのり)は武勇に優れ、一方で才能ある歌人でもありました。
歌人としては都で藤原俊成(しゅんぜい)の一門にあった忠度。
(俊成卿は後白河院に千載和歌集の編纂を任された方)
しかし時は源平の争乱となり、平家一門は都落ちすることとなります。
この時、忠度は、俊成卿へ自らの歌を収めた巻物を渡すために、従者数名を連れて都へ引き返します。「落ち人が戻ってきた」と恐れる家人をよそに俊成卿は「忠度殿であれば通せ」と館の門を開きます。
忠度は俊成卿に、卿が編纂する勅撰和歌集への取り上げを願いました。
忠度はとうとう、一ノ谷の戦いで、命を落とします。
立派な武将と思しき相手を討ち取った、武蔵国の住人、岡部六弥太(忠澄)は、相手の名を知ろうと骸に近き、箙(えびら=矢の容れ物)に、文が結いつけられているのを見つけます、そこには旅宿花という題で、一首が歌われていました。
行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵のあるじならまし 忠 度
六弥太は、これを見て驚き、相手が西方の大将軍、薩摩守忠度であったことを知ります。
さて忠度が俊成卿に渡した歌は、後に千載和歌集としてまとめられた勅撰集に載ったのですが、勅勘(朝敵)となっていたため名字はあらわされず、故郷花という題で詠まれたその一首は“詠み人知らず”として入れらてしまいました。
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山櫻かな
—— 平家物語にあるこの史実の上に今回の能の物語が始まります。
能楽師 シテ方喜多流 友枝雄人氏(左)、国文学者 青柳恵介氏(右)
舞われるご本人をお招きしての、鑑賞チケット付き勉強会「お能への誘いの会」第2回。
今回のお能は「忠度」です。
能楽師の友枝雄人さん(シテ方喜多流)と国文学者の青柳恵介さんをお招きし、忠度、そしてお能に関する沢山のお話を伺いました。
冒頭、まずは青柳さんから、平家物語に描かれた当時の風景と、忠度の人となりについて、いろどり豊かに解説してくださいました。
つづいて行なわれたお二人のトークセッションは青柳さんが雄人さんにインタビューする形で進みました。以降に一部をご紹介いたします。
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【能曲「忠度」について】
忠度を主人公にしたお能には「忠度」の他に「俊成忠度」がある、今回の「忠度」の方は、軍記物として平家物語により忠実な描写がされており、また武将を主人公とした修羅物でありながらも、大変、雅さのある曲であり、雄人さんにとっては、たいへん演能意欲が高まる曲。
【面(おもて)について】
忠度の面は「中将(ちゅうじょう)」。修羅物ではほとんどがこの面を使う。他の例としては敦盛(あつもり)という曲は主人公が少年で「十六」という面もある。
【装束について】
長絹(ちょうけん)。平家方の死んでいった侍は、ほとんどがこの長絹で、雅さがある。
これに対して義経では法被という重ね着の装束をまとう。
忠度は雅な曲で、装束には一番こだわりたくなる。
【須磨という場所について】
前回「松風」の舞台も須磨であった。蜑(あま)の老人が塩を焼いているような佗しい場所だが、詩情のやどる場所である、都からの微妙の距離感、和歌の世界、雄人さん曰く、お能に描かれる中では、雅な人が負の感情、感傷を楽しむ場所のような印象がある。
【カケリ(翔)について】
カケリとは、能の一場面に入る、荒々しい舞と、笛と鼓で表現される高なり。
忠度では、このカケリが、終盤で歌われる和歌の上の句と下の句の間に入る。
行き暮れて 木の下陰を宿とせば
~〔カケリ〕~
花や今宵の 主ならまし
面白い構成であり、やはり忠度の、歌への執心の強さを表現している部分、
クライマックスになっている。
【その他】
他にも、世阿弥の本にある言葉遊びの面白さ、花に嵐がつきものであることの意味、
能の発声である強吟、和吟についての、実地的/専門的なお話を伺うことができました。
また、今回のトークを通して、雄人さん自身もあらためてお気づきになった観点があるとおっしゃられ、とても臨場感のあるトークセッションになりました。
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盛り上がった勉強会の最後には、何と特別に謡いの実演もして下さいました!!
ここまでの勉強でたくさん着目点が出来た筈なのですが、
いざ謡いが始まると、部屋中が「忠度」の感情でいっぱいになったようになり、
皆さん一心に耳と心を傾けられていました。
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開催日は、上空を40年ぶりの寒気が覆っているという寒い日でしたが
能ヶ谷ラウンジでの誘いの会は、大変盛り上がり、場所を変えて17時からのお食事会も、みなさんたっぷりと楽しまれたご様子でした。
2月20日、目黒での本番、條風会がとても楽しみです。
ご参加頂いた皆様、誠にありがとうございました。
雄人さんが「忠度」を舞われる、2月20日の「條風会」につきましては、リンク先の情報をご確認ください。