【開催レポート】武相荘 第17回お能への誘いの会「隅田川」

武相荘『お能への誘いの会』第17回のレポートをお届けいたします。
今回は、能の“狂女物”の代表的作品のひとつ『隅田川』がテーマとなりました。

2025年8月10日(日)開催【講師】シテ方喜多流 友枝雄人氏 / 小鼓方幸流 成田達志氏

本レポートでは友枝雄人氏からのお話を中心に、その一部をご紹介いたします。

友枝氏・成田氏による、謡と演奏の実演

隅田川のみどころ1「狂女」

まず狂女物の「狂女」という言葉ですが、私は子供の頃から繰り返し接してきましたが難しい言葉で、漢字そのままの英語のクレイジーではなく、「思いを持った女性」「思いを遂げるための行動をとっている女性」を狂女という。

狂女物は、曲としては殆どが愛する人を捜し求める旅の曲となっている。当時の女性の一人旅というのは非常な危険がともなう。狂女という状態になる――扮するわけではなく現実と非現実のあいだの非常に中途半端な状態を示す――ことで、危険な旅をしていけた面があると思う。

さて、隅田川の狂女は行方知れずとなった愛する子供を探して旅に出るお母さん。精神的には平常を離れているんだけれども、ただしそこには波がある。はっきり申し上げてしまうと「躁」と「鬱」。

狂女物の演能は、必ず躁と鬱の波があり、目的を遂げるために躁と鬱のあいだをずっと漂っているその姿を描く。その姿を見ていただくのが能の狂女物と言える。

ところが隅田川は、他の狂女物と全く違う作りになっている。躁と鬱の波について、たとえば桜川、三井寺では、最後に子に巡り合えて、親子ともども出家して…という穏やかな終わり方。これに対して隅田川は、死後に子供の死を目の当たりにする。

作者の元雅は、誰にも訪れる…覆いかぶさる「死」というものを深く冷静に見つめながら、その辛いものである死を、ある面で突き放して表現していると思う。

シテ(狂女)の最初のセリフ「人の親の心は闇にあらねども…」
この歌は、後撰和歌集の歌をそのまま使っているが、まさにこの母の本心を歌っている。

隅田川の見どころ2「能と和歌」

和歌には「本歌取り」という手法があるが、隅田川も本歌取りで展開するやりとりが主題を際立たせ、能の完成度を高めている。

隅田川では、古今和歌集に勅選された在原業平の
「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
という歌。

都にいられなくなって東国へ下った在原業平が、隅田川のほとりに着いたときに、望郷の念をいだいて歌ったというこの歌が前半の柱になっている。

前半の中ほど、狂女のシテが登場して、舟に乗ろうと船頭に話しかける。
「なうなう船頭殿 舟に乗り候べし」
このところからが、業平の東下りとシンクロしているところ。

船頭は、めずらしい狂女が来たので「狂女であれば、面白く狂え、狂わなければ舟には乗せないよ」とからかい始めるが、ここから業平の東下りをオマージュした、狂女と船頭の軽快なやりとりがはじまる。

狂女だけでなく船頭さんも東下りを下敷きにして、ある時はかみ合い、あるときは外して、会話が深まっていく。

結びの部分
シテ「沖の鴎と夕浪の 昔に返る業平も」
ワキ「ありやなしやと言問ひしも 都に人を思ひ妻」
シテ「妾も東に思ひ子の 行方を問ふは同じ心の」
ワキ「妻を忍び」
シテ「子を尋ぬるも」
ワキ「思ひは同じ」
シテ「恋路なれば」

本歌取りした東下りと、狂女であるお母さんの旅路が、ふっと、一致する。
ここで前半が昇華する。
隅田川のこの段は本当によく出来ていると思う。
作者の元雅は東下りをかなり理解していると思う。

隅田川の見どころ3「子役演出に関する、元雅と世阿弥の論争」

能楽の世界では有名な論争だが、作者の元雅に対して父の世阿弥が、隅田川の「子」は母親だけに見える幻なのだから、本物の子役は出さない方がよいのではないか、という立場をとっている。これに対し元雅は、そんなことは絶対にありえない、といって反論している。

この論争が明らかになったのは明治時代で、それまでの数百年間は、子方を出すという演出が伝承されてきた。私自身も子方としての経験もある。(役柄としては12~3歳なのだが、4、5歳の子供を出すのは涙を誘うための演出。船頭さんとの会話場面がある。)

さて、子役を出す・出さないについて、近年では
出す場合、全く出さない場合、声だけ出す場合、の3種類がある。

今回は、より古い文献なども紐解いて、子方を出さない演出に取り組む。
塚や舟といった作りものについても、改めてどうあるべきか考えたので、ぜひ舞台を楽しみにしてほしい。

以上、友枝雄人氏のお話より。
イベント後半は、成田達志氏による囃子方から見た隅田川の魅力のお話、小鼓体験ワークショップで能の音楽を体験いたしました。

あいにくの雨の中でしたが、約50名の満席での開催となりました。ご参加の皆さま誠に有難うございました。9月6日の舞台本番もどうぞお楽しみに!

2025年9月6日開催「五蘊会」(対談「隅田川の演出について」高桑いづみ&小田幸子/狂言「簸屑」野村万之丞/能「隅田川」友枝雄人)

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