開催レポート 第10回お能への誘いの会
「お囃子の魅力」

掲載日 2020年7月29日

新型コロナウィルス感染拡大の影響があり、
武相荘では約半年ぶり、待ちに待ったイベント開催となりました。
—お能への誘いの会第10回は、「お囃子の魅力」—
開催レポートをお届けいたします。

左から、青柳恵介氏、友枝雄人氏、成田達志氏

2020年7月18日(土)開催 第10回 武相荘お能への誘いの会「お囃子の魅力」
能楽師 シテ方喜多流 友枝雄人氏
能楽師 小鼓方幸流 成田達志氏
解説・司会 青柳恵介氏(古美術評論家、五蘊会会長、觀ノ会発起人)

芸能における「息」

〈青柳〉
お二人のことは以前から存じ上げておりますが、公私にわたってたいへん仲が良い。
それで、仲が良いだけじゃなくて、息が合っている。
芸能において、この「息」というのは非常に大切なことであります。

過去、お二人が共にされた舞台で「道成寺」、乱拍子という場面がありますが、
手に汗する感動したことを覚えています。
シテ方の舞の動静というのは、鼓が合図になる。この二つが見事に対峙していた――馴染んでいるけれど対決している。非常に迫力を感じました。

少し話はそれますが、以前オイストラフとオボーリンのクロイツウェルソナタ、二人の名演奏家の共演を聞いた時にも、同じように感じたことがありました。

さて。今回のテーマはお囃子です。
これは成田先生が仰ってたんですが「囃し」とは「映える」の他動詞であります。
――盛り上げる、とでもいう意味でしょうか。
囃子言葉、たとえばお祭りの「わっしょい」なんてありますが、その言葉自体に意味はないんだけれど、行動、響きが意味を成す。
そしてさらに向こう側には神様がいる、そういう、お囃子です。

〈友枝〉
お囃子というのは、正式には、おひな様に五人囃子がありますが、これが実はお能の事で、笛・小鼓・大鼓・太鼓・謡の五人を意味しています。

一方、能楽の中には素謡(すうたい)というのがあり、我々シテ方にとっては一番最初の大事な稽古です。先ず、自分の謡い方、息の使い方、というのを身につけなければならない。
自分の素謡が、息の使い方が出来ていないと、シテ方は囃子に合わせることはできない。自分の息の使い方が出来ていないでは、囃子方と立合うこともできないのです。

〈成田〉
私達の鼓は、みなさんから見ると、なんか雰囲気で打っているようにお感じになるかもしれませんが笑、これは楽譜があり、寸分たがわず打っているものなんです。

今、シテ方の修行のお話がありましたが、我々、鼓方が師匠に最初に言われるのは、
「謡に合わせるな」ということ。
もちろんやりながら謡は聞いているんですが、合わせるのではなく、一緒に舞台をつくる。

今日は楽譜――囃子では「手つけ」と言うんですが、みなさんの手元にお配りしていますので、後で一緒に演奏してみましょう。

〈青柳〉
さて、成田先生、日本語に七五調というものがありますが、

〈成田〉
七五調という心地よいものにリズムを合わせていく、ということがあります。

お能というのは、全体としてはものがたりのある「語り芸」。だから先ほど友枝さんが言われた、シテ方の稽古が囃子に合わせないというのは、シテ方が囃子にひっぱられないというのは、筋が通っている。
これに対して、我々囃子方は「音楽理論」。
子どものころ最初のころの稽古に、物語、ドラマは、全く無い。ただ七五調のリズムがあるだけです。

私は子どもの頃はピアノなど西洋音楽もいろいろやってきましたが、七五調というのは日本人が体の芯で捉えることができるような、心地よい、リズムだと思います。

〈友枝〉
我々の舞には、謡を伴うときと、そうでないときがある。
「舞う」という言葉は「回る」という言葉から生じたと言われていますが、
この、謡を伴うときは、自分が言葉を発するので、能動的に舞っている。
これに対して、囃子に合わせて舞うときは、たゆとう、感じになる。

これは体験しないと分からないことだと思うんですが、
息が合っている時っていうのは、記憶もおぼろげな時があるんです。
ひとつには、能面、装束の中に押し込められているということもあると思うが、
囃子に乗っているときは、〈青柳:無我ですかね?〉無我ではないんですが……

〈青柳〉
成田先生。シテ方が舞っていて、うまくいっている時とそうでない時っていうのはわかりますか?

〈成田〉
鼓を打っていて、後ろから見ていても、ハッとするときあります。
それとは別に、さっき「回る」というのがありましたが、我々が作るテンポより速かったり、遅かったり、そういうところでコミュニケーションが生じるときもありますよ笑。

我々、たとえば20代の、若い修行の中でベテランの大先生の舞台に合わせられることがある。
若いですからね、大先生に息を合わせにいってしまう。
そうすると、息を合わせられると舞う側からすると重いんで、
「自分の息でやれっ!」って怒られる。
じゃあ今度はって、次の舞台では、自分の息だけでやると、
「やりにくいっ!」って怒られる。

息、こみ、を共有する。
春霞~~ときたら、ホーゥ
能のリズムは8拍子ですが奇数拍の時に自分の息でコミを取り、相手の息と馴染ませる。など、そういうことがだんだん分かるようになってくる。

〈青柳〉
これは、私は大変興味深い。「一人の芸」には無いこと。

〈友枝〉
息っていうのは「構え」を整えていく中で出来てくる。
喜多流なら喜多流の構え、外見、姿勢を整えていく中で出来てくるものです。

〈青柳〉
それでは、ここでお二人に実演をお願いしたいと思います。

*七五調の拍子に忠実な演奏と、友枝さんの息での演奏を、比べてお聞かせ下さいました

こちらは、1部と2部の間、武相荘を背景とした撮影の様子

〈友枝〉
前半そろそろ終わりですが、能舞台を鑑賞されるときに、みなさん、舞台の空間を立方体でとらえていただくと良いと思っています。
その立方体へ、どんな息が渦巻いているか。感じてもらえると、お能が一層面白く感じられるかと思います。


幸流の小鼓、実践講座

後半は成田達志さんによる幸流の小鼓、体験講座が行われました。
七五調と8拍子について、手つけ(楽譜)の読み方を教わりつつ、手拍子で体験しました。

〈成田〉
お囃子の楽器、例えばここに笛、能管と言いますが、西洋でいうとバロック時代より少し以前に生まれました。そのころから構造が変わっていません。たとえばフルートなど西洋の楽器は、いい音がより易しく鳴るようにどんどん進化しているのに対して、お囃子の日本の楽器は変化させていない。650年前の精神性を保持している。これはこれからも受け継いでいくのだと思います。


レポートは以上となります。
今回も、なかなか知ることができない貴重なお話をお聞きかせくださいました。

シテ方が身につける自分の息、鼓方の寸分たがわぬ音楽、五七調と八拍子、息とこみのお話。・・・次からの観劇が一層楽しみになりました。

武相荘、お能への誘いの会、次回もどうぞお楽しみに。